「イムジン河」
「少年Mのイムジン河」
そして『パッチギ!』

   イムジン河(ハングルで“イムジンガン/臨津江”)は朝鮮半島を分断する38度線を北から南へ流れる川であり、この川をモチーフに南北分断の悲しみを唄った曲(詞:朴 世永/作曲:高 宗漢)の名前でもある。日本では1968年に松山猛の訳詞でザ・フォーク・クルセダーズ(以下フォークル)が発売を予定してシングル盤13万枚がプレスされたが、レコード会社が直前に発売中止を決定した。関係者全員が朝鮮民謡だと思っていたために作者名の明示がないのと日本語詞が忠実でないなどの抗議を受け、政治的な配慮をしたためだ。ラジオやテレビも自主規制をしてこの曲が放送される事はほとんどなかったが、その後もコンサートではフォークルはもちろん多くの歌手に歌い継がれてきた。そして2000年の南北首脳会談を機に“統一を願う歌”として再び脚光を浴び、34年の時を経て2002年遂に“幻の歌”はフォークルのオリジナル盤が発売された。

   松山は中学生の時に、朝鮮中級学校の友人からこの美しい曲を教えてもらう。十代の終わり頃にフォークルのメンバーと親しくなり、この曲をフォークルのメンバーに紹介すると、感銘を受けた彼らはレパートリーに加えることになる。2002年に松山は「イムジン河」との出会いを「少年Mのイムジン河」として、当時の純情な気持ちと共に詩情豊かに綴った。そしてこの本を手にしたプロデューサー李鳳宇が井筒監督に紹介する事によって、『パッチギ!』の種がまかれる。井筒が『ゲロッパ!』の脚本で頭を悩ませていた、2002年の冬の事だった。その後『ゲロッパ!』を撮り終えた井筒は、「少年Mのイムジン河」に真剣に取り組み始める。青春時代を正に京都で過ごした李と奈良で過ごした井筒は、当時の自分たちの経験を盛り込みながら推敲を重ねていく。こうして「少年Mのイムジン河」に書かれた「イムジン河」のエピソードを軸に、若者たちの青春を熱く描いたオリジナル脚本が完成する。

“坂崎”=坂崎

   オダギリジョーが演じる“坂崎”は、アルフィーの坂崎幸之助がモデルになっている。

   『パッチギ!』の準備を進める中で、坂崎がDJを務める番組内のコーナーで「イムジン河」の特集があった事が判明する(NACK5「 K'Sトランスミッション 」J-POPスクールスペシャル“イムジン河2001”:平成13年日本民間放送連盟賞ラジオエンターテインメント部門最優秀賞受賞)。そして坂崎本人に取材をする中で聞いた様々なイメージが蓄積され、それが他のイメージと混ざり合って“坂崎”のキャラクターが形成される。実際に坂崎の実家は酒店で、坂崎自身大ファンだったフォークルがきっかけで、その後の日本のフォークにも傾倒し始めたのだ。

   また井筒の中で膨らんだ坂崎のイメージは“坂崎”の中に収まり切らず、それが主人公の松山康介のキャラクターの一部にもなっている。それは“康介”という名前が幸之助に由来しているという事からも分かるだろう。

   坂崎のラジオ番組での“イムジン河2001”がきっかけとなってフォークルの新結成に坂崎が参加し、それと並行して松山猛の「少年Mのイムジン河」が執筆され、そしてそれら全てが自然に結びつくように『パッチギ!』が創られたのも、何か不思議なめぐり逢わせが感じられる。

加藤和彦登場! ザ・フォーク・クルセダーズから『パッチギ!』へ

   ザ・フォーク・クルセダーズは1965年、加藤和彦のメンバー募集で集まった北山修、平沼義男、井村幹生、芦田雅喜の5名で結成。67年10月に加藤、北山、平沼の3人編成で自主製作版『ハレンチ』を限定300枚リリースし、同じ月に開催された第1回フォーク・キャンプ・コンサートに出演した後に解散する。しかしラジオ関西の深夜放送で放送された「帰って来たヨッパライ」が大反響を呼び、同年12月東芝より『ハレンチ』の音源のまま急遽シングルが発売され大ヒットを記録。社会的にも注目を浴びたフォークルは、平沼の代わりに親交のあったはしだのりひこを迎え1年限定で活動を再開する。68年3月セカンド・シングル「イムジン河」発売中止の代わりとして「悲しくてやりきれない」を発売。また同月主演映画「帰って来たヨッパライ」(大島渚監督)も公開され、7月にはアルバム『紀元貮阡年』を発売。この限定期間での活動は膨大な露出で社会現象にまでなり、その後の日本のロック・フォークシーンにも多大なる影響を与えた。解散後、加藤は音楽シーンで大成功を収め(スタッフ・プロフィール参照)、はしだのりひこは自身のグループを経て関西エンターテインメント・シーンで活躍、北山修は現在九州大学教授としてカウンセリングの研究につとめつつも、時折コンサートも行っている。そして2002年、北山修と加藤和彦、それにアルフィーの坂崎幸之助の3名によってフォークルを新結成し、期間限定で活動。スタジオ盤とライブ盤のアルバム2枚、マキシ・シングル1枚を残す。

   『パッチギ!』の音楽は、準備段階から加藤に依頼する事でスタッフ全員一致していた。松山から監督を紹介された加藤はこれを快く引き受ける。その結果劇中で塩谷が歌う「イムジン河」もオダギリが歌う「悲しくてやりきれない」も、彼らの声と加藤のスコア、そして映像とが見事に溶け合い、大きな効果を引き出す事に成功した。また葬儀のシーンでは朝鮮の伝統的な民族楽器で「イムジン河」をアレンジするなど、細部に渡って繊細な音楽演出が施されている。

井筒和幸京都学校

   紳介・竜介を主役に抜擢した青春映画の傑作『ガキ帝国』や、ナインティーナインをやはり主役に起用してブルーリボン作品賞、新人賞を受賞した『岸和田少年愚連隊』など、若手の育成には定評がある井筒和幸監督。今回はオール京都ロケで、今後の映画界を背負って立つであろう若手俳優たちを抜擢し、彼らは“井筒学校”とも言える監督の細かい指導と愛情のこもった“罵声”を受けることになる。“地獄の合宿”はおよそ2ヶ月間に渡り、演技は言うまでもなく、特に在日朝鮮人役の俳優達はハングルと関西弁(京都弁)を同時に使いこなさなければならない、という言葉の問題でも苦労した。その上でさらに激しいアクションシーンも体で覚えなければならず、過酷な状況の中で毎日緊張の連続で撮影に臨んだ。そして遂にやって来たクランク・アップでは、様々な感情が入り交じって、若手俳優たちはみんな涙を流して喜び、そして別れを惜しんだ。

   本作は劇中の若者たちの成長物語であると同時に、俳優自身の“成長の記録”とも言える程、彼らの瑞々しい姿がフィルムに焼き付けられている。















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